φ(´∀`へ)へ 死ぬまでに何か書いておこう!! (旧 窓際大学院生のたまには真面目に生きよう。) -58ページ目

塾って必要?

塾は必要だ、と思う。


塾でバイトしている単なる学生が何を

偉そうに言っているんだ、と思われそうだが、

僕は現在の日本には、

塾が必要だと思う。


さらに偉そうに言ってしまうと、

僕は教育とは一種の洗脳だと思っている。


洗脳という言葉の響きが悪ければ、適応といってもいい。

多かれ少なかれ、教育とは、

ある個人を社会に適応させるための方法である、と考えている。


つまり、現代の日本社会に適応するためには、

当然、日本語をしゃべることができなければならないし、

読むこともできなければならない。

買い物するために、簡単な計算もできなければならない。

昔から、言うところの

読み、書き、ソロバン、である。


昔も、いまもこれらができて、はじめて、

最低限の生活が営めると思う。


某私大では、卒業するまでに

漢字の読み書きなど、

最低限の学力を身につけさせることを

売りにしているところもある。

大学にとって、学生は商品であるから、

その商品を企業に売りつける場合、

品質保証をするという意味なのであろう。

(もちろん、直接金銭による授受というわけではなくて、入社した学生の質により、大学の価値が高められて、多くの学生が入学するという間接的っていう意味だよ。って、こんなこと説明する必要性がない気もするけど)


しかし、本来、そのような最低限の学力は、

義務教育によって養わなければならないのではないか?


実際、就職活動をする人向けのSPIの問題には、

現在、中学生に教えている問題と同じものが載っている。


ということは、実際、入社するための試験で、

そのような問題が出ているということである。


企業側が最低限の常識を持ち合わせた人間かどうかを

確認のためにやっていると思うのだが、本来なら

そんな試験は必要ないのではないだろうか?


なぜなら、日本人のほとんどが日本語をしゃべれるように、

義務教育で、みんな学んで、できるはずなのだから。


こんなことが起こっているのは、いままで学校が

生徒に教える義務を完全に負っていなかった証拠のような気がする。


実際、ゆとり教育で変な科目に時間をとられて、

学校の授業だけで、十分な学力を得ることは

不可能である気がする。


だから、補完する意味で、塾が必要だと僕は思う。


なんか前に文部科学省の役人も、そんなこと言っていた気がするし……


(まぁ、ゆとり教育がはじまったのって最近だし、今回の発言はかなり強引だと自分でも思うけどね。まぁ、未熟者なんで、これを見て、学校関係者は怒らないでね。って、いうかこの記事見る人って、たぶんいないでしょうけど。)





きのうは、塾でバイト。

僕は毎週土曜日、某個別指導の塾で、中高生に、化学や数学や英語を教えている。


うまく教えられたなぁと思うときは、次の授業までの一週間が気分よく過ごせるが、

自分自身でダメな授業だったと感じるときは、次まで、ずっと気分がふさぎこんでしまう。


わざわざ、貴重な時間とお金を使って、塾に来てくれるのだから、

来てよかったと思って帰ってもらいたいし、

自分が教える内容によって、教え子の人生が左右されてしまうかもしれないという

考えが常にあるから、授業の出来で一喜一憂し、一週間過ごすのだと思う。


教えながら、いつも思うのだが、はっきり言って、現在の日本では塾が必要だと思う。

学校の授業だけでは、学力がつかないからだ。


僕自身、現在の学校の教壇に立ったことはないから、

確信を持って言えるわけではないが、

現在の学校は学ぶための場所ではないのではないか?


もちろん、僕が得ている現在の学校の知識のほとんどは、

マスコミによってつくられたものを受容したものであり、

教育実習に行った人や

大学の教育学部に在籍していて塾でバイトしている人から聞いた話は

わずかである。

なので、断定はできないけど、そんな気がする。


ある人が現在の学校をペットホテルに例えていたが、まさしくそうではないか。

つまり、飼い主(親)が仕事にいくときに、家には残しておけないから、

ペット(子供)をペットホテル(学校)に一時預け、

ペットホテルは、エサを出したり、

ペットが怪我したり、暴れたりして、

飼い主から文句は言われないように、監視する。


これが現在の学校のような気がする。


教えている子達は、決して頭が悪いわけではないし、

こっちの言っていることは理解してくれる。

出題する問題の意味も理解してくれる。


ところが学校の授業では理解しないのだ。

これでは、学校は何をしているのかと

文句を言われてもしょうがない気がする。


これが、ゆとり教育の弊害なのだろうか?

机の上に炭疽菌。

数時間前に、炭疽菌って言葉を書いたんで、

昔、他のサイトで書いた炭疽菌との出会いについて書きます。


やっぱりマッドサイエンティストに憧れるものとしては、

生物兵器に使われる細菌くらい知っていなきゃならないよねw


えーと、やつとの出会いは、おそらく、

9.11でアメリカの世界貿易センタービルに飛行機がつっこんだときから、

一ヵ月後くらいだと思います。


そのとき、僕はなぜか、微生物学講座に出入りしてまして、

実験をするため実験室へ行きました。


そこで、何気に邪魔なシャーレに触れました。


そこで気がつきました。


ヤツです。


ビル一個を平気で封鎖するヤツです。





炭疽菌




そのとき、僕は先生が言っていたことを思い出しました。




「うちにあるものは、弱毒化したものだから食べても、たぶん体内に抗体が出来るだけで死なないよ」

と、先生。



「もし病気になってもこれを飲めば大丈夫ですよ」

と、僕。


雑菌が入ってしまったために放っていたシャーレに見事に

生えたアオカビを見ながら笑いあう二人。

アオカビは確か抗生物質のペニシリンを作るのです。

(違っていたら誰か教えてねん♪)


すごいです。


投げられたジョークをジョークで返しました。

まさにジョークのキャッチボール!!


笑いあう二人。





しかし、ちょっと思い出してみよう

教授の言葉を

「たぶん死なないよ」








「たぶん」って




まぁ、食べていないし、直に触れたわけじゃないし、

いま、生きているんで問題がなかったんだろうけど、

やっぱり細菌は目に見えない分だけ怖いですね。




……これって、いま研究室で書いてたんだけど、

先生が入ってきて、

やる仕事の量が爆発的に増えた。

バイオインフォマティクスで解析する遺伝子が増えたし、

夏前に、GeneBankに

シークエンス登録するって言っているし……、

明日、塾でバイトだし……


疲れたよぉ。




現実逃避

あぁ、はやく大腸菌にプラスミド入れて、タンパク質つくれよ!! 

という研究室の皆さんからの、

冷たい視線が背中に突き刺さってますが、気にせずにブログで現実逃避します。

もしこの文を誰かが読んだら(読んでいる人いるのか?)、

やらなければならないことをやる気が起きなくてやらないという消極的な動機で、

現実逃避をしていると思うかもしれませんが、違うんです。


僕は、


あえて現実逃避するんです!!


もう一度言います。


あえて現実逃避するんです!!



人間、追い詰められると、それ以上の力が出るんですよ。


夏休み最終日に溜まった宿題をやる小学生のように(実話)、

締め切り直前の漫画家のように(想像)、

ぎりぎりになると人間は秘められた力を発揮するでしょ!!!


だから、


あえて現実逃避するんです!!


きのうはTA

きのうは、ティーチング・アシスタント(TA)で、大学2年生の実験を見ていた。


実験内容は無菌操作だったんだけど、全然、できてない。

無菌操作は、バイオテクノロジー関係の仕事(研究)をするなら、絶対必要だし、

食品会社とかに行っても、菌数の測定は普通にするから、

覚えておかなきゃいけない操作なのに、全然できていなかった。


大丈夫なのかな?


それよりも、実験内容の方がやばかった。


クリーンベンチに植えたのが、

納豆菌。

 

わかる人はわかると思いますが、

納豆菌は菌として芽胞をつくるので、

ものすっごく強い菌なんです。

ちなみに、同じ属にぞくしていて、芽胞をつくる菌に

炭疽菌があります。

9.11の後に、生物兵器だと騒がれたアレです。

つまり、それくらいしつこく生き延びる菌をクリーンベンチという

無菌的な場所で培養するために植えたんですよ。

このあと、2年生の実験失敗しないかなぁ。


このあとの実験は植物の組織培養なんですけど、去年はほとんど

植物を培養するための培地に、他の菌(おそらく納豆菌)が混入して、

うまくいかなかったみたいだけど……。