φ(´∀`へ)へ 死ぬまでに何か書いておこう!! (旧 窓際大学院生のたまには真面目に生きよう。) -56ページ目

ニート

Livedoor のニュースに

ニートに関する記事が載っていた。

 

ニートというのは、

NASA地球 に接近する小惑星 観測プロジェクト

NEAT(Near-Earth Asteroid Tracking)のことではなく

 

雇用されておらず、学業もしておらず、職業訓練も

受けていない無業者のことを指す

NEET(Not in Employment, Education, or Training)

というイギリスで生まれた言葉のことである。

 

この記事の中で、

ニートになりやすい子供の

チェックリストが載っていた。

 

このチェックリストだが、

どうも違和感がある。

 

このニートは

若者に多く、ひきこもりの問題とも

関係があるらしい。

 

しかし、ニートといったとき、

そのような引きこもりの若者だけではなく、

保護観察中に少女を監禁した容疑で警視庁に

逮捕された、ただのバカ

小林泰剛容疑者(24)のように

ある程度の表面上の社交性

(外を出歩いて金を使う程度の意味で)

持っているニートもたくさんいるのではないか。

つまり、親の金で遊び歩いている人間

通称家事手伝いもいると考えられる。

(どうでもいいことだけど、19歳の女性に対して、少女という言葉を使うのは、ものすごく違和感があるんですが)

   

そう考えてみると、

このチェックリストは

おかしい気がする。

 

一部を抜粋する。

 

     携帯電話を持っている

     ブランド物が大好き

 

 (?_?)え?

この項目は、街中で遊んでいるタイプに

当てはまります。

 

しかし、引きこもり型のニートには

当てはまるのでしょうか?

 

ブランドが大好きな引きこもりって

想像力が貧困な佐和には

とても想像できないんですがw

   

     異性とのコミュニケーションが苦手

     1人で遊ぶことが多い

 

?(__!)?(!__)?


 

これは引きこもり型のニートに

当てはまると思うのですが、

街中で遊んでいる人たちには

当てはまるのでしょうか?

 

偏見なのかもしれませんが、

クラブに行くニートも

ナンパするニートもいると思います。

 

その人たちが

異性とのコミュニケーションが

苦手とは思えないのですが。

 

で、極めつけは、これ。

 

     自分で食器を片付けない

     自室にパソコンがある

 

それって、関係ないだろう。

まぁ、自分で食器を片付けないは、

わからなくもないけど、

自室にパソコンがあるって、

現在の日本のパソコンの

普及率、知らないんですかね?

 

総務省によると、2004 年通信利用動向調査 で、

インターネット利用数は7,948万人で、

個人のパソコンでのインターネットの利用者は

6416万人らしいです。

 

自宅にパソコンのある中高生がすべて、

自分の部屋にパソコンがあるとは考えられません。

 

しかし、パソコンとは極めて私的な情報が

入っているものなので、

けっこうな人数の中高生が自室に

パソコンがあると推測されます。

 

また、これから、中高生のパソコン普及率が

さらに増加することは、ほぼ確実です。

 

となる、これらの中高生はニートになるんですか?

ということで、日本人はいずれ、

全員ニート化するのでしょうw


 

佐和自身の考え方も乱暴ですけど、

この項目に当てはまるとニートに

なりやすいというのも

乱暴な気がします。

 

もちろん、

これは大まかな傾向であって

多くの例外が存在すると思います。

 

しかし、チェックリストの最後に書いてあるように

 

16~20個……80%以上の確率でニートになる

11~15個……60%以上の確率でニートになる

6~10個……40%以上の確率でニートになる

5個以下……ニートになる可能性は低い

らしいです。

 

 

今まで、述べてきたように

引きこもり型のニートの人は

外で遊んでいるニートの項目には

当てはまらないと考えられます。

 

また、外で遊んでいるニートの人は

引きこもり型のニートの項目に

当てはまらないと考えられます。

 

 

そうすると、

全部の項目に当てはまる人間って

実質、いないのではないでしょうか?

 

 

また、項目には

首を傾げたくなるものもあります。

 

何か、このチェックリストには

ゲーム脳で有名な日本大学の某教授の

ゲーム脳と同じ薄弱な根拠に裏打ちされた

考えの匂いがするのですが。

 

(まぁ、某教授はゲーム脳に対して何か言う前に自分の脳を分析しろって話ですよ。その論理的でも、科学的でもない説を証明してみろよ、と文句を言いたい。つーか、そんなに正しいと思っているなら、論文書けよ!!!! 論文を!!! 論文をちゃんと実験的なデータで書けば、必ず認められるんだよ!! まぁ、正確な実験データのない、根拠のないでっち上げだから、論文を書こうとしても、書けないのはわかるけど。真面目に研究やっている人に大変失礼だよね。ホント、何らかの説を唱えるなら、論文書けよ!!!

だって、世界で最も有名な論文が載る雑誌であるNaturememory of waterって、水には記憶があるって説が載ったんだからよ。当時、この説を否定する実験データがなかったので、載っちゃったんだけど。余談だけど、この研究者、去年死んじゃったんだよね。Natureに特集が組まれていた)

国語を教えるということ。

バイトをしている塾は、

一斉指導と共に個別指導もやっている。

 

個別指導の特徴は、

一人の先生が特定の生徒につき、

生徒一人、一人に合わせた

授業ができることである。

 

 

生徒の都合をなるべく汲み取るので

学校の用事とかで、

生徒が来られない日は、

振り替えとして他の日に

授業を行うことになる。

 

しかし、塾講師も毎日、

都合がつくわけではないので、

必然的に

いつも生徒に教えている以外の

先生が教えることになる。

 

 

振り替えのため、

先日の授業で国語を教えた。

生徒は小5だった。

 

佐和は国語は普段、教えない。

自分に国語を教える資格がないように

思えるからだ。

 

しかし、人がいなかったので、

仕方なく引き受けた。

 

佐和は

国語という教科が嫌いだ。

特に現代文が嫌いだ。

 

決して、点数が悪いわけではない。

 

センター試験の国語Ⅰ・Ⅱでも

現代文は、ほぼ満点だった。

 

普通の人に比べて、

本も読むほうだと思う。

 

理系ということもあるが、

学科では、おそらく一番本を読んでいるだろう。

 

しかし、国語という教科が嫌いだ。

 

国語という学問が

嫌いなわけではない。

 

学校で習う国語が

嫌いなのだ。

 

特に

お決まりの、

傍線部の言葉を何故、主人公が言ったのでしょ?

という問いが許せない。

 

その手の問題は

答えの選択肢が並んでいるが、

そのどれも正しいと

佐和には思えない。

 

ただ間違っていないだけだ、

と感じる。

言葉に表せない違和感がある。

 

 

それでもテストでは、

しかたく正解とするであろう答えを

書いて丸をもらった。

 

そんなテストを繰り返すたびに、

自分の中の何かが壊れていく気がした。


塾で国語を教えるということは、

設問に対して、

正解と言わなければならない。

自分が全く信じていないことに

対して、正解と言わなければならないのだ。

だから、今まで

ずっと国語を教えることを

避けてきた。

 

何故、こんなにも

国語という教科が嫌いかと

考えたことがある。

 

おそらく日本語は

個人の心情や感情を吐露するのに

適している言語なのだろう。

つまり、

うだうだとツマラナイことを

愚痴ったり、一人ブツブツと

つまらないことを呟くのに

適しているのだろう。

 

土佐日記といった日記文化や

布団といった私小説、

最近のアメリカとは異なる

日記を主としたブログの発達は

このよい例であると思う。

 

某番組で

金田一秀穂という国語学者が

もっとも自分の気持ちを伝えやすい言葉が

その人にとっての最もいい日本語である

といった意味のことを言っていた。

 

この言葉が日本語の特性をよく表していると思う。

相手に理解されるようにしゃべるのではなく、

自分の気持ちを伝えやすいといっているのだ。

 

 

佐和が、

国語が嫌いな理由が

これなのだと思う。

 

つまり、佐和の問題文を読んで

感じた心と設問者との間に

衝突が生じているのだろう。

だから、違和感がある。

 

 

先日の国語の授業では

生徒に対して、

何故、正解なのかを教えるのではなく、

何故、他の答えが不正解なのかを

教えた。

 

それに対して、

生徒は笑顔でわかったと頷いた。

 

いまも耳に

その言葉がこびりついている。

 

その言葉に対して、

佐和も笑顔で、頷いて

授業を進めた。

 

自分がまったく、

信じていないことを正解とし、

生徒のノートに正解として、

赤で丸をつけた。

 

どうしようもなく、

自分が嫌になった。

 

 

もう国語を教えることはないだろう。

 

きっと。

 

漫画やゲームは悪くない。

教育制度あれこれ  

という読者登録しているブログに、

漫画やゲーム脳のことがのっていたので、

そのことを書きます。

 

佐和は、よく塾で生徒に教えるとき、

漫画の主人公や行動、

あるいはゲームの話をネタにします。

 

なぜなら、そのほうが生徒の教科への興味が

増し、より学ぶ意欲がでてくると考えるからです。

 

例えば、先々週の理科の授業では、

少年ジャンプに連載されているワンピースの話から、

授業に入りました。

 

このワンピースに出てくる主人公は、

悪魔の実の一種であるゴムゴムの実を食べて

ゴム人間になってしまった人間です。

この物語はこの主人公が海賊王になるために

冒険であり、ジャンプ的なお約束のバトル物です。

(ここではバトル物という語は、主人公と敵が、戦うという意味くらいにとっておいてください。ドラゴンボールがいい例です)

 

その物語中に、エネルという雷を操る能力者が登場します。

主人公はゴム人間なので、電気を通しません。

(電気)を操るエネルとは天敵です。

 

佐和は、理科の授業での電流の話で、

まずこのワンピースの話を冒頭でしてから、

導体(電気の流れやすい物質で、金属など)

絶縁体(電気の流れにくい物質で、ゴムなど)の話をしました。

 

こんな話から、授業に入ると生徒の教科への興味が

より湧いてくると思います。

 

 

そもそも佐和は学問とは

本来は目の前にわからないことがあって

それがどうして、そうなのか?

なぜ、そうなるのか?

といった好奇心から、

生まれてきたものだと思います。

 

 

 

ですので、漫画やゲームが

学ぶという積極的な目的のための刺激、

興味が増すのならば、

授業でも用いるべきだと思います。

 

 

ちなみに、某大学教授が提唱している

ゲーム脳という概念は、

佐和は全く信用していません。

 

理由として、

その先生が言っている

ゲーム脳を引き起こす

ゲームという対象が明確ではないことです。

 

この教授の言うゲームは、

おそらく(この人の論文を読んだことがないので、確かなことは言えませんが)

すべてを区別することなく、一緒のものとしてみている可能性があります。

 

 

例えるならば、

麻薬と風邪薬と漢方を

同じ薬だから、一緒のものだと言うように

パックマンのような単純なゲーム、

将棋やシュミレーションゲーム、

テトリスのようなパズルゲーム、

フルCGの映画のようなRPG

同じものと

言っている気がします。

 

 

まぁ、なにか問題が起きたら、

自分とは関係ないところに

責任を押し付けたい年頃の大人が

適当なことを言っているんでしょうね。

 

 

けど、最近、ゲームする人が増えてきたので、

この考え方が誤りであるのは、

感覚的にわかる人が増えている気がします。

 

 

ところで、

昔は、読書ばかりしているとバカになる、と

本が現在のアニメやゲーム、漫画のように

悪者にされていたことがあるのを知っていますか?

 

いまの人から見れば、

なにバカなことを言っているんだ、

という感じです。

 

この例から考えて、

いずれは

ゲーム脳なんてバカなことを言っていた人がいたんだなぁ

と言われる日が来る気がします。

 

モスラ~や、モスラ~

モスラ~や、モスラ~

ということで(どういうことで)

今日は研究室の先生が受け持っている講義に、

某有名大学から先生が来て、特別講義をするというので、

見に行った。

 

 

この講義がけっこう面白かった。

 

 

この先生は、

カイコのホルモンやホルモンの分泌がどのように

伝達されるかに関する研究をしていた。

 

佐和が高校生のときの教科書に、

アラタ体やエクジソンって出ていたけど、

そこらへんの研究です。

 

ちなみにカイコは、モスラと同じ蛾の仲間です。

例えが変?

変といえば、モスラって完全変態なんだよ。

知っていた?

この完全変態って、

ネーミングに小学生だった佐和は

やたら反応してました。

 

 

この先生が某有名大学の博士課程のときに、やっていた実験が

とても面白かった。

カイコのホルモンをとろうとしたので、

まずカイコがホルモンを分泌する器官を取り出したらしいです。

 

その器官は頭にあったので、

この先生は頑張って、

実験材料を集めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

50万匹の

カイコの頭を。

 

 

 

 

 

 

50万匹だよ、50万匹。

すげよぇーよ。

先生。

 

もう、

マッドなオーラを

プンプン出してるよ。

 

 

 

 

だって、50万匹から、頭を3.75kgとったらしいけど、

カイコの頭部って、だいたい1/500なんだよ。

 

 

ということは、

使用したカイコガは、

 

 

3.75×5001750kgですよ。

 

1750キロのカイコって……。

 

 

 

 

 

 

しかも、この先生、

活性検査のために、

カイコの幼虫をひもで縛ったり、

生きたまま脳を引きずり出し、

胴体を真っ二つにして、

ガラス管でつないだりして、効果を見たらしいです。

 

 

 

もう凄すぎ!!!

完全にマッドだね。

 

(まぁ、某生物を生きたまま何百匹と解剖している、佐和も人のことは言えないけどね。佐和の場合は、血が出る生物ではないので、良心の痛みや解剖に伴う嫌悪感はあまりありません。ちなみに、余談ですが、脳研究の分野では、マウスの脳をとりだして、そのままスライスにしたりする実験を普通にやっています。これらは、様々な脳での病気の原因を特定するため、なくてはならないものです。このように研究者の血の滲むような努力(本当に!! 過労で死んだ研究者って、けっこういます)の結果、我々は幸せな生活を営めるのですよ。←なんでマウスの話が出てきたかというと、佐和はマウスを扱った実験をやったことがないからです。自分がどのような分野で実験をしているのか、特定されたくないからです。といっても、このブログを見ている人は少ないので、わからないと思うけど)

 

 

 

 

 

こういうマッドな実験が

新しい発見や技術革新をもたらし、

明日の日本をつくっているんだよ。

 

 

 

 

だから、この某有名大学の先生が

カイコの幼虫を成長させるメカニズムを解明すれば、

東京タワーや国会議事堂で

モスラが蛹になるのを防ぐことができるんですね。

 

 

 

ということで、この先生には

日本を救うため、

頑張って、研究してもらいたいですw

 

 

 

 

植物組織培養

本日は、午後から、TAで大学二年生に

実験、教えていました。


今日は前回、やった無菌操作の応用で、

植物の組織培養。


組織培養とは、簡単に言って、

組織の細胞を培養して、他の組織をつくることです。


技術的にも倫理的のも困難ですが、

人間を例にすると、

爪を切り、その爪から、

心臓ができたり、あるいは

人間ができるという技術です。

(すっごく省略してますよ)


人間のような動物は、

胚性幹細胞(ES細胞)などの一部の細胞を除いて、

皮膚になったり、肝臓になったりする能力のある細胞は

ありません。


テレビのニュースで

シャーレの中で、

心臓が脈打つ様子が流れたことがありますが、

そういう実験では、

ES細胞が使われています。


ただし、最近の実験では、

一度、筋肉や皮膚などのように

役割が決まった細胞でも、

再び、心臓や目の細胞にできる

能力を身につけることができるという

報告があるので、


そのうち、胴体を真っ二つに切って、

新しい体が切断面から生えてくる

ということができるかもしれませんね。


なんか嫌ですが。





ところが動物と違い、植物は、

葉っぱが根になったり、茎になったりする

能力があります。

これを分化全能性といいます。




これを利用して、実験では、

合成オーキシンと合成サイトカイニンという

2つの植物ホルモンを添加した培地に

葉片を乗せて、培養しました。


はて、さて実験はうまくいくかな?



うまくいくと、葉っぱから芽が出てくるんですよ。



それにしても、

今日の実験で、びっくりしたのは、

200μl までしか取れない

マイクロピペットで

230μl 取ろうとしていた人がいたことですね。




そういうふうに扱うと

壊れるから、やめてね。


修理代高いんだよ。



どれくらいかって?













佐和がTAで実験を一回

教えて貰えるお金より、

修理代のほうが高いんだよ!!!

…(;´`)